2024年9月
2024年9月 · 2024/09/30
エレベータを降りると、またもや子カマキリに遭遇。こんな9階まで壁をつたって登って来たのか、まさかなぁ。。飛んできたとも考えずらいし、、通路には小さなコオロギもチラホラいることを考えると、ひょっとしたら風(上昇気流)に乗ってきたのかもしれない。。─子供の頃、カマキリは秋定番の遊びツールだった。今は何故か虫類は、てんで苦手になった。クワガタさえひっくり返した姿などはゴキブリとそう大差がなく思えてしまっている。。世にも嫌いな虫、ベスト5(-_-;)★第5位;黄色と黒のシマしま模様が不気味な”ジョロウグモ”★第4位;どこに跳ねて来るかわからない”カマドウマ”★第3位;理屈抜きにニョロニョロのでっかい”ミミズ”★第2位;飛んでいる姿に遭遇したら卒倒モノのゴキブリ★第1位;目にしたら思わず固まってしまうデッカイ”蛾”。★番外;カブトムシの幼虫もムニュムニュして厳しい。
2024年9月 · 2024/09/20
カードコレクションがまた1枚増えた。。少し前から”こめかみ”に小さな”できもの”があり、気になって仕方がない。懸念の痛風もようやく治まってきたところで、真新しくなった皮膚科クリニックに行ってみた。告げられた病名は”脂漏性角化症”。加齢などに伴うもので、珍しくは無いと言う。で、ホッとしたのもつかの間。先生、「どれ、スグやっちゃいましょうか。」、なにっ!?..「液体窒素あてるから。ちょっと痛いけど我慢してね。」ブシュッ、ジューッ、ジジッ....イテテ(涙)。手際よく4,5回繰り返して終了。ふぃ~、いてかったぁ。。先生は柔和で説明も丁寧、とても好感が持てるし、寄り添う看護師さんも優しく言うこと無し。口コミでの高評価もうなずけるところだ。.....話は前後するが、受付時には、まずQRコード付きの番号票が渡される。スマホで読込むと待ち人数が表示されるので便利だが悲しいかなWi-Fiが無いと使えない。院内、沢山の患者さんから判断するに1時間以上は、ゆうに待ちそうだったので一旦、車で5分の事務所に退却して人数を確認。こりゃいい!おかげでひと仕事を済ませることができた。気仙沼の個人クリニックとしては先進的なシステム、先生も人柄良くおすすめな(皮膚科)クリニック。。。数年前、別の皮膚科併設のクリニックに行った時のことを思い出した。先生に質問をしたら無表情で「ボクのこと信用できないんだったらヨソに行っていいよ。」って。いきなりの冷たい物言いにビックリしたことがあった。説明に疑問を持たれたと思いこみ心証を悪くしたのだろうが言うに足らず、あの傲慢さには呆れたものだった。気になりついでにクリニックの口コミを見てみたら、あぁ..やっぱりそれなりだ。
2024年9月 · 2024/09/18
刈り取り間近の田んぼ、広々とした景観が実に見事だ。車を降りて、カシャッ、カシャッ、しゃがんだり立ち上がったりしながら夢中でシャッターを切っていると。。。「何すてんのっさ?あんだ!」。何か不審がられたようで同年輩くらいの方から声をかけられた。「えっ、いや、あの、あまりにキレイな景色なんでブログに上げたいと思って、無断ですみません...(汗)」。車に戻り、名刺を渡した。「よかったら後で見てください。」、「わがった。おらいの田んぼでねぇけんと、ほんで、リッパに撮ってけらいんよ。」最後は笑顔で、安堵。....はい、お約束通りアップいたしました。先日の失礼お許し願います。。
2024年9月 · 2024/09/14
本日、9月14日は敬愛する永ちゃんこと矢沢永吉75才の誕生日。いまだ精力的に活動するロック界のカリスマ、永ちゃんに触れてみたい。まずは矢沢語録のひとつ、『肉体は老いるとも魂(ハート)は老いず』。70代、自身を顧みての言葉、うまいコト言うなぁ。。小生が”矢沢教”に入信するきっかけとなったのは、ラジオ番組”オールナイト・ニッポン”で流れた曲”ファンキー・モンキー・ベイビー”。当時14才、多感な少年期にこの曲で心揺さぶられて以来、今日まで飽くことなく狂信するに至っている。人生の節目で心折れそうな時にはいつも矢沢楽曲を聞いて気持ちを奮い立たせてきた。─1978年、永ちゃんのコンサートが気仙沼市民会館で行われた。地方の町だけ50カ所を駆け巡るソロツアーライブ。小生、高校3年夏のこと。同じクラス、やはり矢沢狂信者のGoGoタモちゃん(あだ名)と連れ立って参戦した。1,000人収容の大ホール。客は100人にも満たない中でも永ちゃんはエネルギッシュなステージを見せてくれた。ほとばしる汗、空中に舞うスタンドマイク。そして、やむこと無いアンコールのラストは生の”ファンキー・モンキー・ベイビー”で、もう感無量。去り際、舞台ソデからノーマイクでひと声「気仙沼サイコー!また来るからヨロシクゥ!」と、手を振った。総立ちの客は、Ohー!!!!!!!!、拳を上げて乱舞感涙。。あれから早、46年もの時が経ち、「また来るから...」の言葉は今や風前の灯火、馳せたる想いは夢の跡、、。まぁ、普通に考えたらリップサービスなのだが。。ほんじゃま、永ちゃん数ある曲の中からゴキゲンなナンバーをひとつ。セッション相手の布袋ちゃんもイケてるよん。タップ(クリック)で、どおぞ~ん♪ https://youtu.be/3AsqnjTZgQc
2024年9月 · 2024/09/10
先日の”食品衛生責任者講習”。2時間30分余り、途中10分休憩を挟んでの長丁場。時間が経つうちに周りを見渡すとチラホラ瞑想中(?)Zzz.。o○。担当官は気づいていることだろうが、そこはおかまいなしに講習は淡々と進められ、、「え~、では最後に10分間のDVDを観ていただいたら講習終了となります。」、「皆さん大分お疲れのようですが、顔を上げてしっかり観てください。」チクッとイヤミのジャブを放った後、カチカチ..チャカチャカ..開始すべく装置を操作するも、いっこうに動画が始まらない。「え~、何だか調子が悪いのでDVDは無しにします、お疲れさまでした(汗)」...えっ!全然いいけど、びっくりなハプニング。尻が痛くなっていたのでちょっとラッキーかも。
2024年9月 · 2024/09/05
きのうのパリパラ”女子砲丸投げ”。一番楽しみにしていた競技種目をYouTubeでは予選から嬉しいライブ配信。気仙沼出身の齋藤由希子選手(SMBC日興証券所属)が初出場ながら予選を終えたところで充分なメダル射程圏内。今春、オリンピックの前哨戦とも言える世界選手権では銅メダルを手中にしている。前回、東京五輪2020は砲丸投げが種目から外されていたので夢舞台は叶わなかった。その当時、彼女は世界記録保持者であっただけに無念の極みであっただろうことは容易に想像できる。なのでなおさらのこと、その思いを今大会、存分にぶつけて欲しいところ。齋藤由希子選手こと旧姓・加藤由希ちゃんの家は3.11震災の津波火災で小生の家と同じく消失したが、それまでウチのご近所さん。小生が若かりし時分に食料品店を営み、彼女が子供の頃、ジュースや菓子、寒い節には中華まんをお父さんに連れられてよく買いに来ていた。今やこんなにたくましく立派になって、万感せまる思いだ。弟も小生の息子とは仲の良い同級生、お母さんとは働いている量販店で時に雑談したり。。さかのぼれば、彼女の祖父母が当時営んでいた雑貨問屋からは仕入れで日々世話になったりと。なんだかんだと加藤(旧姓)家とは縁深かったので本当に感慨ひとしお。由希ちゃん31歳、その体ゆえ、これまでの人生には人知れず辛いこと涙したことは山ほどあったことだろうが、よもや人前ではそんなことは微塵も感じさせない。屈託のない明るい表情が一番の魅力だ。ようやく報われ実が結実した今、オリンピックのフィールドに立っている彼女の姿に目が潤む。。
2024年9月 · 2024/09/04
今日で何日になるだろうか。まだ腫れがひかず痛み止めも効かず毎日気分はブルー。少しでも良くなりたい一心、痛風対応めしには難儀している。魚、肉類は全般的に天敵のプリン体が多めなので要注意。そんな中、やさしめの鮭(ムニエル)が今夜の主役。あとはヘルシーな小鉢モノをちょっとづつと、ご飯は腎臓に優しい低たんぱく米。糖質も低いメニューばかりなので、ここのところ体重がジリジリ減る減る。。ちなみに、これまでの人生体重MAXは93kg強。冬以外は吹き出す汗と格闘する肥満度2。その当時は腹がはち切れんばかりに食べないと満足できず脳内の満腹指数がレッドゾーンを振り切る異常さが常態化していた。その後、種々テンコ盛りの病気を重ねたおかげで努力せずともいまや63kg台。その差30kg減で、めでたく腹もペッタンコの標準体重に。以前、米売り場で30kgの玄米袋を抱えようとしたが、とてもとてもの四苦八苦。その重さたるや、それが脂肪となって体にくっついていた訳だから何たる恐ろしいことか。