
古新聞を束ねていたら目に入った”閉院のお知らせ”。まったく知らなかった。気仙沼の入沢と言う地区、坂の途中に建つこの医院は我が家にとって縁深いところ。5人家族の内、長男を除いた4人がこの医院の産湯に浸かっている。院長親子2代にわたり、その手に取っていただいた。小生が出生の昭和35年、この地は”気仙沼市釜の前”と言う現在とは異なる地名で母子手帳(震災で焼失)に記してあった。”釜の前”とは何とも取って付けたような、と言うか屋号のようだ。地名とされた”釜の前”の名をひも解けば、、当時、医院周辺ではカツオ節産業が活況を呈していたそうな。カツオを燻す前には炊く作業があるわけで、このカツオを炊く大きな釜が地名の由来になったと、亡き母から聞いた。産業が衰退するに伴い現在の”入沢”と、地名が変わったのだと思われる。。話は戻り、この医院の食事は、いわゆる病院食っぽくなく、ボリューム満点、実においしかったと記憶する。食の細いヨメちゃんは食べきれず、性根浅ましい小生が、もったいないと残りをいただいたものだった。....3.11震災では医院もご多分に洩れず、1階の中ほどまで浸水、出産に係る機材、備品のすべては使えるはずも無く、しばらくは休院となっていた。再開が果たせたのは、その後いつからだったのだろうか。。

医院方面に所用の道すがら寄ってみた。小生を含め、我が家の4人がここで産まれたんだなぁ、、しみじみ感慨にふけりながらシャッターを切った。外壁が張り替えられているので一見、そう古めかしく感じないが入口回りは昭和モダンの風情を感じさせる。気仙沼市のお隣、陸前高田市の津波の難を逃れた”奇跡の一本松”は有名だが、医院入口の2本松も同様、塩水に浸ったものの今もこうして枯れずに健在でいる。人知れず、こちらは”奇跡の2本松”だ。。先代を含め森先生、心からありがとうございました。