気仙沼のふかひれ屋さん 気仙沼のふかひれ屋さん
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洗車を終えて

このところ雪が断続的に続いたおかげで愛車は見るに堪えない状態。天気が悪くても、あたりを見渡せばどの車もピカピカ。マメに洗車をする世の皆さんはエライ(...と言うか、それが当たり前なのだろうが)。小生的にはいちいち洗車したところで雨雪にたたられ、すぐさま汚れるとガッカリするので天候不順の間はちょっとガマン。都度、洗車場に行けばよいのだろうが、小生と言ったら生来のドケチ根性が抜けないため自前での洗車。始めるまでの準備と終わった後のかたずけが少々面倒であるが、そこはそこ。何と言っても金銭的には、やはり代えがたい。仕事場の水道は下水道が無いので水道代がとにかく安い。洗車にかかる水道代は、ザックリ見積もって30円程度かと。洗車場との費用対効果の差は歴然!~

うひゃ~、それにしても見れば見るほど、、、、。さすがにココまでくるとチトはずかしい。

ブシューーボォーー。高圧噴射の冷たい水が車体から跳ね返る。夏場はミストで気持ち良いものの、冬場は顔をしかめながら耐えるのみ。おまけに今日は結構風が強いときてるので、風向きによっては顔面シャワーー##

車底から屋根まで全体をくまなくブシュー、ブシュー。拭きあげてワックス掛けて終了~。ふぃ~つかれたぁ。。やっぱり、しょっちゅうはできん(@_@。

洗車の労をねぎらってのごほうびは、つつましく”たい焼き”。仕事中の休憩をとってみれば、「よっこらしょ。」何かとひと息つく頻度は年を重ねるたびに多くなっている。これも、ひとり親方法人がなせる気楽な日常。と、言えば聞こえは良いが、ハードワークで寿命を縮めては身もフタも無い。以前には家に帰る時間も惜しみ、食うや食わずで事務所で寝袋にくるまる日が続いたことがあった。過労がたたり、棺(ひつぎ)にカラダを入れ損ねた笑えない経験をしたので、以来、その時を教訓に、今は極力”体ゆったり、心のんびり”を心がけている。忙しい時の自戒は、”ゆっくり早く、がんばるはチョットだけヨ”。

たい焼き店のそれには到底かなわないが、それでもそこそこ美味しい”井村屋のたい焼”きは冬場に欠かせない常備品。”たい焼き”と言うと、よく言われるのが”頭から食べるか尾から食べるか”、、まぁ、どうでも良いことだが、ちなみに小生は、ほんのり焦げたかぐわしい香りを楽しんだ後、尾から食べる派。なぜかと言うと、茶を伴いながら頭からゆっくり食べ進めるので、尾に行きつく頃には柔らかくなってしまう。尾がカリカリのうちに食したいので必然的に尾から、と言うことになる。──ここまで書き進めてふと、遠い昔のことを思い出したので一筆記しておきたい。3.11震災前まで小生の実家があった幸町四丁目と言う所。家のはす向かいに冬場にしか”たい焼き”を焼かない菊田のおじいさんがいた。春になると、今度は土産物だと言う”イカせんべい”を焼き始める。60年近くも前のことだ。看板などは無く、粗末な赤茶けたブリキの建屋は店と言うにはほど遠く、立て付けの悪い入口の引き戸を難儀しながら中に入ると、まさにタイムスリップ。土竈(つちかまど)もある梁、天井、一面すすけたそこは、さながら”おしん”の世界。菊田のおじいさんは焼いた”たい焼き”の作り置きはしない。たったひとつでも”一丁金型ばさみ”で注文を受けてから焼き始める。ヒマを持て余す子供にとって待つ時間に苦などあろうはずも無い。小銭を握りしめながらパチッ、パチンと炭が時折はじける音とともに舞い上がる火の粉に心おどった記憶が懐かしくよみがえる。今のように様々なスィーツなどあるはずも無い時代。焼きたて熱々の”たい焼き”は年端のいかない自分にとってこの上無い食べ物であった。アンコはこれでもかとタップリ、薄皮なので気をつけないと熱いアンコがムニュっと飛び出すのでデンジャラスな食べ物だ。尾にはあえてアンコが無くパリパリのせんべい仕立て。....こんな話をヨメちゃんにすると「アンタ、いつの時代の人?」と、笑われる。さておき、当時の菊田のおじいさんは70も半ばほどか。小生が生まれるずっと前から焼いていると聞いていたので、”たい焼き”と”イカせんべい”を気仙沼で始めた最初の人物は菊田のおじいさんではなかろうか。それから1,2年後、理由は分からないが”たい焼きは”やめて”イカせんべい”だけになってしまった。。思えば、”しあわせがいっぱい詰まった”たい焼き”であった。