気仙沼のふかひれ屋さん 気仙沼のふかひれ屋さん
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命日

1月22日は父の命日。3.11震災を知らずして、その2年前、母を残して旅立った。享年74歳。小生は商売に明け暮れる両親の背中を幼い頃から感じながら育った。その影響なのか血筋なのか自分も同様、商売人になっている。。岩手の田舎寺、8人兄弟の中に生まれた父は寺の貧しさもあって商家で奉公しながら夜学を出たと言う。後に縁あって気仙沼に流れ着き、わずかな蓄財と借金を元手に小さな食料品店を始めた。時は高度成長期の始まり。儲け口にはいち早く次々と手を出していった。。牛乳の宅配、青果市場の開設に伴い漬け物の製造、漁船舶の仕込、パチンコ景品の卸、灯油の小売、タバコ自販機設置業等々。極貧の生い立ちがバネになっていたのか早朝から深夜まで馬車ウマの如く働き詰めの毎日。なので、とてもとても両親には家庭を顧みる余裕などあるはずも無く、6才下の妹は小生が半ば育てたようなものであった。小学生の頃には時に幼い妹の面倒を見ずに夕暮れ暗くなるまで遊びほうけて家に帰ると父からよくゲンコツをくらった。今でこそ虐待とか言われるが50年以上も前の頃は良くも悪くもそれが普通だったような昭和の時代。厳しい性分であった父の反動なのか(?)、無理はカラダに良くないと勝手な都合をつけて今はダラダラの生活。”南無大師遍照金剛” 合掌

震災のため家族写真はこの1枚のみ。─昭和42年、小さな商店を営んでいた頃。小生6才、妹・3ヶ月。。。なんか『ALWAYS 三丁目の夕日』のよう。