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いっけいじま神社

仕事に向かう途中、弁天様に年始の参拝。ここは、3.11震災以前には児童公園の中に社殿がある珍しい神社であった。ところの町の名は弁天町。歴史の由来を受けて神社の呼び名は『一景嶋』と、今に継承される。子供時分には日が暮れるまで遊んでいた一景嶋公園神社は、言わば小生のホームグラウンドでもあった。今は公園としての存在は無くなり、面影をかすかに残すべく縮小した形で神社だけ整備されている。──…お社に手を合わせ、年明け早々、至極無念にも能登震災により犠牲になられた方々へ心から冥福を祈った。13年前の震災では小生も津波に巻かれ、家財は地域の大火ですべて燃え尽き、、絶望、喪失感に随分さいなまされた。。。そんなことを身をもって経験したので、被災した方々のこれからを思うと本当に心が痛む。…

湾口の一景嶋を明治末期に撮影したとする写真。昭和初期に右手の一景小嶋を取り巻くあたり一帯は埋め立てられ、お社は陸続きとなった。左手に見える天神に通ずるシンボリックな神橋、通称『辨天小橋』は、埋め立て後にも後世にその姿を残すべく地面から欄干だけ残す特異な形で再建された。その後は、永きにわたり親しまれてきたものの、3.11震災の大津波で、いよいよその姿を消した。

神社参道口の野立看板には源義経(みなもとのよしつね)の恋人であった皆鶴姫(みなづるひめ)を乗せた舟が一景嶋の浜に打ち上げられ非業の死を遂げたとされる言い伝えが記されている。3.11震災で流失した野立看板は、神社の整備に併せて有志により再興された。

過去に幾度となく襲われた大津波により社殿は度々消失している。3.11震災の後に再興された現在の一景嶋神社社殿は知られている限りでは三度目の建立とされてはいるが、縁記も海の水雲となっているため詳細は不明。。対の守護神、狛犬は震災をもろともせず威風堂々と変わらぬ姿で今に鎮座する。子供時分には友達と狛犬の頭に片足立ちで乗り、「先に落ちたら負け!」。と、駄菓子を賭けてよく競い合ったことが懐かしく思い出される。自慢のカケラにもならないがあまり負けた記憶がない。なので、ポケットは戦利品でいつもパンパン。でも、結局は後でみんなで分け合って食べたような。、、今にしてみれば何とバチあたりなことをしたのかと大いに猛省する。